「自信と増上慢の相違について、教えてください」との質問の声が上がった。
世間は、悩める人を救い、行き詰まった社会を変革する学会員の偉大な献身を、冷ややかに見下していた。身の程知らずと中傷するものまでいた。
それゆえ池田会長の声は、無認識な思い込みを打ち破る気迫に満ちていた。
「『法華の慢』は許されるのです!大聖人が仰せです!」
参加者の背筋がピンと伸びた。
「御本尊を根本とした確信は、これはどんなに確信を持って言い切っても、『増上慢』ではないのです!
したがって、御本尊に任せ、御書に任せて、広宣流布のために戦っていく自信、確信は、絶対に必要なのです!」
”自信満々と創価を語れ!”。会長はそう訴えたのだ。
「増上慢とは、我見や、『未だ得ざるをこれ得たり』と思う慢心をいうのです。
つまり、あくまでも御本尊を根本にして考えるかによって違ってくるのです」
続けて、幹部自身が増上慢に陥らないよう釘を刺した。
「ですから、”少しでも仏法を知る人に教わっていこう””先輩に付いて信心を進めていこう”という謙虚な心があれば、増上慢ではなくなっていきます」
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